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上祐出世の裏に「婚約者」の存在 むろん、上祐とて絶対の人望があるわけではない。幹部たちは、心の底では彼を 苦々しく思っているはず。というのも、なぜ彼が教団内で出世できたのかを知っ ているからです。 村井が出世できたのは、ある意味で当然です。彼は麻原絶対、麻原が自分の人 生、のような男でした。しかも、私心がない。他の幹部のように麻原の目を盗ん で性の破戒などをすることもなかった。その生真面目さを慕う信者も多かったの です。かくいう私もそのひとりです。 しかし上祐は違う、と一部の幹部は思っています。上祐が出世できたのは、元婚 約者の存在が大、と信じられています。麻原が彼女を見染め急接近するなか、上 祐はこれを黙認しました。その功徳は世間一般の人が考えるより遥かに大きく、 だからこそ上祐は村井と並ぶ2大高弟にまで抜擢されたのです。 たしかに上祐は頭も切れるし弁も立つ。しかし、それだけでは村井と並んで正大 師にはなれなかったはずです。そのことは麻原の愛人になり、子供まで生んだ石 井の存在が、 何より雄弁に物語っていると思います。 そのせいか、上祐も麻原を見下している面がありました。見下しているという表 現は大袈裟かもしれませんが、少なくとも村井ほどには麻原に対して純粋ではな かった。その証拠が、オウムが亀戸道場で起こした炭疽菌事件です。これは失敗 したため証拠集めが難しく、最終的には事件として立件されませんでしたが、猛 毒の炭疽菌を散布して付近住民の殺害を狙ったもの。この散布の責任者のひとり が上祐で、しかも彼は、間違って麻原に炭疽菌をかけてしまったのです。 しかも、この件で麻原は付近住民に小突かれています。「異臭を出した責任者は お前か、けしからん」というわけです。教祖が一般人に手をかけられるなど前代 未聞、教団ではあってはならないことです。これは現場責任者の上祐が体を張っ て教祖を守らなかったからだ、ともいわれました。一歩間違えばというより、計 画が成功していれば麻原が死亡していたわけで、そのうえ、住民の暴力からも守 れない、これは上祐の麻原に対する帰依が足りない証拠、と批判する幹部まで出 たのです。 もちろん、麻原も怒りました。それもあって、この事件後、上祐はモスクワ支部 に飛ばされたのです。 ただし、モスクワ左遷程度で許されたのは、元婚約者の存在があったからです。 それが幸いして、上祐は地下鉄サリン事件などの犯罪にも手を染めずにすんだわ けですが。こうした経緯を幹部たちは知っています。だからこそ、何も知らない 一般サマナは別として、いまは上祐と行動を共にしている幹部にしても、全員が 心の底から慕っているわけではない、といえるのです。 アーチャリーを毛嫌いした上祐 ところで、上祐がモスクワ支部に左遷された理由は、炭疽菌事件だけが原因では ありません。もうひとつの原因はアーチャリーとの確執です。 一部では、上祐はともかく、アーチヤーリー本人は上祐を慕っている、と見られ ている。最近になって一部マスコミが、アーチャリーが、母親である松本知子被 告に書き送った手紙を公開した。それには、上祐幹部を「頭のいいお兄さん」と 呼び、「そんけいできる人が帰ってきてくれて嬉しいです」という心境も綴られ ている。これを読むかぎり、上祐幹部とアーチャリーの関係は良好にも見えるの だが、X氏が見てきたふたりの関係は、もっと冷えきったものだったようだ。 ほとんどの信者にとってアーチャリーは最悪の悪ガキといってもいいでしょう。 麻原が後継者に指名してしまったばかりに、それをカサに着てわがまま放題。弟 子たちにしても後継者に逆らうわけにはいかず、言葉通り足蹴にされた弟子たち の数を挙げればきりがないほどです。 もっとも悪ガキはアーチャリーだけではなく、長女も同様です。妹であるアー チャリーが後継者に指名された嫉妬もあったのでしょう。アーチャリーに対抗す るかのように人人の話にでしゃばってきて、私たち幹部が閉口することもしばし ばでした。とくに呆れたのは、長女とアーチャリーの折り合いの悪さ。弟子たち の見ている前で取っ組み合いの喧嘩をしたこともあります。麻原の子供がこれで は教団内に混乱が起きることも考えられ、私が上祐は麻原一族を切るだろうとい うのも、そのほうが教団運営がしやすいからと考えるからです。 そもそもアーチャリーが上祐を尊敬しているなど、額面通りに受け取ることはで きません。彼女が上祐を頼りにしていることは事実でしょう。しかし、それはあ くまで麻原の後継者である自分の忠実な僕としてで、それ以上の存在として認め るつもりはないのです。とりあえず、いまは上祐に頼るしかないから彼を持ち上 げておこう、ということでしょう。 と同時に、上祐のほうもアーチャリーを毛嫌いしています。モスクワ左遷の一因 を作ったからです。これでライバルだった村井に遅れを取ったことは事実で、権 力欲の強い彼にとって、当時は大きな挫折と感じたはずです。 そもそもの原因はMという女性信者でした。当時、彼女は麻原のお世語係の一員 だったと思いますが、彼女に上祐が迫ったという噂が立ちました。それを聞きつ けたアーチヤリーが麻原に、「上祐が性の破戒をしている」と密告したのです。 結果的に上祐は麻原の叱責を受け、Mは地方の支部に左遷されたはずです。この 一件以来、上祐は、「アーチヤリーには気をつけなきゃならん」と漏らすように なりました。 上祐を僕としか見ないアーチャリー、アーチャリーを毛嫌いする上祐、うまく行 くはずがありません。 「備蓄は金で」がオウムの決まり X氏によれば、サリン事件、強制捜査当時もロシアに飛ばされていたた め、激動期のオウムのことで、上祐が知らないことが多数あるという。そ のなかでももっとも重大な事件は何か−という本誌の問いに、X氏は驚く べき内情を明かした。 教団資産のことです。具体的には、消えた現金7億円と金塊の合わせて約10億 円の行方ですね。 95年3月22日から始まった教団への強制捜査。このとき、富士山総本 部の第ーサティアンの3階にあった石井大蔵大臣の20畳ほどある部屋に 備えつけられていた金庫には、莫大な教団資産が保管されていたという。 その総額は7億円ともいわれ、捜査貝も保管状況を確認したとも伝えられ た。しかし、令状を持った捜査員らが翌日あらためて押取に向かったと き、すでに資産は何者かによって持ち出された後だった。金庫は空の状態 で、現金・金塊の行方は、今日に至っても判明していない。あれから5 年、マスコミも含めて、ほとんどの人がそうした謎があったことすら忘れ ている。X氏は気負ったそぶりも見せずに、「実は自分も資産隠しに関 わった」と証言を始めた。 強制捜査は早朝から開始されました。富士山総本部道場から上九一色村の第5サ ティアンにある法務省の部屋にいた青山吉伸に連絡が入ったのは昼頃。すぐさま 私も彼に呼ばれました。その場所には、当時車両省大臣だった野田成人、法務省 所属で青山の部下だったKらがいました。「まずいことになった。第ーサティア ンの現金を捜査員に見られた。幸い押収はされなかったが次は令状を持って押収 に来るはずだ。それまでに何とかしなければ」 いつもは冷静な青山も、このときは焦りまくっているという感じでした。 当時、石井の部属には多額の教団資産が置かれていたのです。現金7億円の他、 金塊もあり、総額は10億円程度と、村井から闘いた記憶があります。 そもそも石井の部屋には大型の金庫が3つあったといいます。私自身は金庫を直 接見たことはありません。第ーサティアンは石井と、その側近が住んでいる場所 で、いってみれば大奥。男子禁制の場所だったからです。 村井に聞いたところでは、金庫は高さ2メートル、幅、奥行きは1メートルほど の大きさで、つねに数億円の現金がプールされているということでした。すべて 在家信者からのお布施で、100万円ずつ束にして輪ゴムをかけ、金庫に積み上 げておくのだそうです。 この管理責任者が大蔵大臣の石井。出家信者たちは必要に応じて上司の許可をも らい、石井から現金を受ける仕組みになっていました。私たちも、外でのワーク の際などには、石井から現金を受け取っていました。 といってもオウムの資産を全面的に石井が管理していたわけではありません。石 井の権限は必要最低隈の現金の管理まで。備蓄については、村井の役割でした。 お布施が一定の金額に達した段階で村井が持ち出し、金の延べ板に代えるので す。 私は1個だけ、村井に見せてもらったことがありますが、ある貴金属店の刻印が 押された1キログラムの金の延べ板でした。それより大きい延べ棒、つまりイン ゴットを買わないのは、いざというときの換金性に欠ける、それに持ち運びが不 便だからと聞いています。 なぜ、金なのかといえば、一般人にはにわかに信じられないでしょうが、当時は オウムの敵はフリーメーソンだと信じていたからです。麻原によれば、日本銀行 はフリーメーソンに支配されているから信用できず、銀行預金は禁止。さらに、 フリーメーソンは為替相場を支配していて、一瞬にして紙幣を紙層に変えてしま う力を持っているため、現金での保管も危険。このためオウムは金しか信用せ ず、備蓄は基本的に金でするのです。 とにかくこれは、麻原が決めた決まりであり、それに疑問を抱くことすらありま せんでした。 ですから、捜査当局やマスコミなどが「教団には隠し口座があるはずだ」などと 騒いていたのには吹き出したものです。銀行を信用しない教団が隠し口座を持つ はずがないからです。あくまで銀行口座は入金用。それが確認されれば、すぐに 引き出してしまうのですから、教団の口座を探し当てたとしても、無駄骨に終 わったはずです。 その金の延べ板と、金に交換する前の現金が、強制捜査開始当日の石井の部麗に 保管されていたわけです。
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