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名無しさん

06/03 18:46
■■ 2016年1月12日 ■■
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午前中は普通に勤務。
午後、病院から電話。
すぐ駆けつける。
母の様子は昨日と変わりがないように見えるが、そこがプロの勘なのか。
「耳は最後まで聞こえてます」
看護師は言うが、今さら何を言えと?
15時。ここへ来て2時間。
「今まで、ありがとう」
答えるように、呼吸停止。
ただちに看護師を呼ぶ。
医師が死亡確認。
15時13分。
昭和5年12月5日−昭和91年1月12日。
長い旅が終わった。
・・・・・・・・・・
職場へ、姉と兄へ、アイバンクへ電話。
なんと、姉は救急病院にいた。
介護施設にいる父が倒れ、救急搬送されていたのだ。
施設の職員が病院から帰れないでいるから、すぐに来てバトンタッチしろと言う。
「それどころじゃない」と言うしかない。不可抗力だ。しかし、これが遺恨を残すことになった。
角膜摘出スタッフの女医2名が到着し、手術に1時間かかった。
それから本格的な「処置」の開始。
病室に持ち込んだ掛け時計と未開封の紙オムツは寄贈とし、全ては斎場へ運ぶこととなった。
斎場の車をスタッフ全員が見送った。……1ヶ月、ありがとうございました。
斎場では、
すぐ枕飾りが運ばれ、係員が来て、葬儀の打ち合わせ。
悲しむヒマがない。かえってありがたい。
打ち合わせは住職の枕経で中断。
いつもの読経だが、今日はデュエットだ。
多少は緊張して、悲しむヒマがない。ありがたい。
打ち合わせ終了。
思えば、この斎場に積立てがあるというのは母の遺言で、葬儀のイロハは祖母の葬儀で喪主をやった父の見よう見まねだ。
・・・・・・・・・・
母子水入らずの静かな夜が更ける。
22:00頃、ロビーに出て、無料サーバーのカフェモカを飲んでいると、
誰もいないのに、正面玄関の自動ドアが開閉した。
祖母の霊が様子を見に来ていたらしい。そして、いま出ていったに違いない。
今から父の病院に行くのだろう。