[1]名無しのメンタルさん
04/12 08:07
★続き

事業の解散後、何人もの仲間たちとガヤガヤとやかましく働いた自宅兼オフィスにひとり残された。そしてこんこんと眠った。1週間。2週間。3週間。ずっと眠り続けた。食事はほとんど摂らなかった。

 オフィスを出ていかなければならない日が近づいてきた。オフィスを出た後は当時付き合っていた恋人の家に身を寄せる予定になっていたが、次第に彼女からの連絡が滞るようになった。退去日の1か月ほど前からなかなか返信が来なくなり、退去日の2週間ほど前から完全に音信不通になった。どこにも行き場がなくなった。

 この段階でようやく「生活保護」という選択肢が自分の中でリアリティを持ち始めた。家もない。金もない。体は微動だにしない。一緒に働いていた仲間も恋人も去っていった。自分には何も残されていない。残されていたのは日本国民という資格、ただそれだけだった。

 生活保護の受給を決めてからは全てが迅速に動いた。役所窓口での水際作戦のことは知っていたので、福祉関連の仕事をしていた友人に申請に付き合ってもらった。彼の正確な知識と影響力により、おそらくかなり例外的なことに、ほとんど即日で保護の認可が降りた。

 家探しは難航した。いくつもの不動産屋を回るがすべての業者に断られる。「生活保護」という単語を出した途端に不動産仲介業者の顔がひきつり、ご紹介できる物件はありませんという丁重な返答が返ってくる。しかしそんな自分の隣のブースでは、年若いカップルが新居についてあれでもないこれでもないと幸福そうに語らっているのだ。そういう経験を幾度となく積んだ。

 最終的に、生活保護受給者向けの不動産会社と相談しアパートを借りた。そんな業者が存在するとネットを通じて知れたのは幸運だったのだろう。入居日が決まり、ささやかな引っ越しをした。荷物は布団一式と衣類が少々のみ。だから引っ越しはレンタカーで一往復するだけで済んだ。新しい生活が始まった。
 
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