[1]名無しのメンタルさん
04/12 08:08
★続き3

自分が依存症に両足を突っ込んでいることには、もちろん完璧に気づいていた。連続酩酊状態がおそらく何週間か続いたころ、このままではヤバいと考えた自分はクスリを断つことにした。薬物をやめ、今後について真剣に再考し、なんとか人生を立て直そう。そのようなことをおそらく酩酊中に思いついた自分は、残っていたクスリをトイレに流し、ノートとペンを引っ張り出して人生の再建計画に取り掛かった。

 そして何日か熟慮した結果、今すぐ自殺すべきだという結論が導き出された。もう自分には何も残っていない。精神と肉体にそれぞれ障害を抱え、まともな学歴も職歴もなく、人並みのことは何もできない。世界にも自分にも絶望しきっている。そして極めつけは生活保護受給者だ。自殺する以外に方法はない。

 自殺の準備を整え、踏ん切りをつけようと悪戦苦闘している間に、ふとまた手癖で咳止め薬にスリップしてしまった。また酩酊の日々が始まった。あと一歩のところまで来ていた死という救いは、そうして遠ざかっていった。

パチンコにしても、薬物にしても、無価値な自分にふさわしいからやっていたのだと思う。無価値な自分はパチンコをやるべきだ。無価値な自分はヤク中になるべきだ。人は自分にふさわしいことをやらなければならない。生活保護受給者の自分にとって、それはパチンコであり、薬物だったのだ。

 実のところ、実際に生活保護を受給するまでは、生活保護を恥ずかしいものだなどと欠片も思っていなかった。所得が高ければ税金を納める。所得が低ければ生活保護を受給する。そして所得の決定要因は遺伝と環境…つまり運だ。納税も生活保護も、ルソー流の社会契約の一部であって、本質の部分ではなんら変わらぬものなのだと思っていた。
 
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