[1]名無しのフリーメーソン
10/11 20:45
村井らわずか3人で「金塊隠し」

捜査陣に発見されて慌てた青山は、「大変な緊急時だから備蓄係である村井を呼
んで判断を仰ぐしかない」と私にいうのです。この日、村井は強制捜査に立ち会
うことを避け、河口湖近くのホテルに隠れていました。村井は地下鉄サリン事件
の指揮者であり、逮捕を恐れての潜伏だったのですが、当時の私は彼が地下鉄サ
リン事件に関わっていたとは知りません。そもそも、あの事件が教団の犯罪とも
知らなかったのです。ですから、私は青山の依頼に躊躇することなく、村井の携
帯電話に連絡を人れたのでした。
村井も教団資産の隠匿は自分の逮捕間題以上に重大と考えたのでしょう。変装を
し、検問をかいくぐり、わずかな時間で駆けつけました。村井の決断は早く、す
ぐに富士宮に向かい、資産を隠すぞといいました。車で出発し、検問を避けなが
らの隠密行動、そのため到着は夜中になっていました。
ところが金庫の置き場所は大奥。この緊急事態だというのに、男子禁制を譲らず
に、石井のお直話係などの女性信者が外まで運ぶというのです。
そのため私は、10億円前後といわれた現金と金の延べ板を目にしてはいないの
です。運び出されたときは衣装ケースに詰められていましたから。よく押し入れ
なんかに衣装を詰めて置いてあるプラスチック製のケース、あれです。しかも、
運搬用の白いワゴン車は、第ーサティアンの入り口にぴったりと密着するように
横付けにされましたから、衣装ケースを見たのも一瞬の間だけでした。といって
も、私も慌てていましたから、じっくり観察する余裕がなかったのも事実です。
衣装ケースを白のワゴン車に積み込んだまでは、私白身見ていたのですが、最終
的に車に乗り込んだのは運転手の他、村井、それと警備係の3人だけ。しかも、
深夜だったため街灯のないサティアン周辺は真っ暗で、村井の他のメンバーの顔
ははっきりと見えないままでした。誰だったのかもわからないのですが、とにか
く3人で出発して行くところまでは、私自身、確認しています。
行き先ですか?当初は川崎に向かう計画がありました。教団の会計士だったTと
いう出家信者の実家へ運ばうという案で、彼の家族は在家信者でしたし、そこな
らば当局のマークも届いていないだろうと考えたのです。
しかし、この計画は2つの問題があって撤回されました。ひとつはオウムは在家
信者を最終的には信用していなかったこと。もうひとつは、そもそも当時は、上
九や富士宮周辺は検問が厳しく川崎方面の道路を突破できそうになかったためで
す。それでも村井はためらうことなく車を発進させたのですから、隠し場所につ
いては目算があったのでしょう。
残念ながら私は、最終的な隠し場所を本当に知らないのです。知っていたら、刑
務所を出て真っ先に調べていますよ(笑い)。
ただし、私なりに想像したことはあります。検問で阻止されることなく、車で行
ける場所です。私は強制捜査から間もなく逮捕されてしまったため、実際のとこ
ろは知らないのですが、強制捜査の間も幹部たちは検問突破をやっていたと聞い
ています。徒歩で検問場所を迂回して、その後に教団の敷地外に車で待機してい
る信者と携帯電話で連絡を取り、ピックアップしてもらう方法です。
この方法があったから、強制捜査中も幹部たちは東京と上九一色村の間を往来で
きたのです。しかし、そのときばかりは徒歩は無理です。わずか3人で現金と金
塊の詰まった5個の衣装ケースを持ち運べるはずがないからです。だから、隠し
場所は検問にかからずに車で行ける範囲で、しかも捜査当局には絶対に察知され
ないところ。そこは富士山周辺しかありません。村井は、そこに教団資産を埋め
たと思います。このことは絶対に間違いないはずです。

この〃オウム埋蔵金〃ともいうべき7億円の現金と金塊の行方について、X氏は
「たぶん、その後に野田らによって回収されたのでは」という思いも捨てきれな
いという。しかし、あの混乱のさなか、もし教団側がそれらを持ち出すことがで
きなかったとしたら……、「その場合は、たぶんこのあたりでしょう。といいな
がら、彼は地図のある地域を指し示した。
なぜ、断言できるのか。そう間うと、X氏はオウムのまだ知られていない資金獲
得計画の存在を明かした。そして、10億円余の隠匿場所は、この計画と密接な< br>関係があるというのだ。
(以下次号)
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